■家具店が軒を連ねる夷川通界隈
「夷川」という通りの名は、中世頃までは流れていたと言われる川の名前から来ています。
平安当時、市中には碁盤の目に沿って、北から南へ、また東から西の方へ向かって、縦横にいくつもの川が流れていました。
京極川・東洞院川・佐比川・室町川など、今の堀川に相当する程の川が生活水や水路として利用されていました。
長岡京から平安京に遷都する際には、木材の運搬に水路が重要な役割を果たし、京の町を短期間で築くことができたと言われています。
夷川も、当時、東西に流れていた川の一で、周辺には町家の建築に関わる家具屋や建具商、畳屋が軒を連ねていました。
明治から昭和30年頃までは、通りの半分、烏丸から寺町までに、市内の半分近くの家具や建具商が集中していたといわれています。
※華美絢爛の夷川通 |
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■森長老舗(和室専用家具)
衝立てや屏風など伝統的な和装家具に囲まれ、武家社会にタイムスリップしたような雰囲気の店舗です。約二百年前の文政4年創業 。
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■桜井家具
箪笥階段(道具や小物を入れるのに利用)や船箪笥(車輪がついていて船に載せるのに用いた)など、旧京都の町家にに残る伝統的な家具を商っています。
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■万新(建具店)
格子戸・ガラス戸・雪見障子(すり上げ障子)・葦障子などの建具を作っています。
葦は琵琶湖で生育されるもので、毎年12月、3メートルにも伸びた葦を刈り取り、簾や障子に利用されます。
京間用の建具は大きさが昔から統一されていたので、畳などと同様、どこの町家にも転用することができました。
京間は「統一規格の元祖」と言えるものなのです。
現在は、マンションなど注文建築が多く、また、若者の背丈も大きくなり、これまでの尺度では合わず、オーダーに応じて多種多様になってきているということです。
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■市橋家具
昭和初期に建てられた店舗の内装・ファサードを一新した家具店。
当初から家具屋として普請されているために広い間口と高い階高が取られており、この「商家」としての良さが生かされ、いわゆる「町家」とは異なった意匠となっています。
伝統の趣を残しつつ、且つ、平成の時代にも合うとは、このような住空間を言うのかもしれません。
※モダンに改装された市橋家具店の外観 |
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■イシス(京間の間取りを現代に活かす町家)
麩屋町通竹屋町上ル
通り庭や縁側からの便所の配置、中玄関・床の間・仏間など、イシスさんでは、町家を昔の構造を残しながら、店舗と住居に利用しています。一階は更紗を販売している店舗ですが、店の構えや商品の配置に、町家の間取りをうまく活かしていることが分かります。
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■取水堰
鴨川は、昔から普段の水量が少なく、みお筋が安定しなかったため、舟運には適さない川でした。
このため江戸時代の初期、淀川を通じて京・大坂間を舟運で結ぶため角倉了以が木屋町二条・伏見間に高瀬川を開削しました。
最盛時には180艘もの高瀬舟が行き交い、木屋町筋には各種の物資を扱う商店が軒を並べ、木屋町二条下ルに残る一の舟入に往時の活況がしのばれます。
高瀬川の流水は、この堰で鴨川より取水しています。
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■高瀬川源流庭苑(がんこ高瀬川二条苑内)
京の人々に古くから親しまれ愛されてきた高瀬川の流れは豪商角倉了以の別邸跡、がんこ高瀬川二条苑を通り、木屋町通りをくぐって再び姿を現します。
おおよそ380年前の慶長16年、了以によってつくられた当庭苑は、明治の元勲山縣有朋の別荘第二無鄰菴となり、その後阿部男爵邸等をへて現代は大岩邸として伝わりがんこ二条苑高瀬川源流庭苑となっています。
庭園は店の内にありますが、見学は無料でできます。
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■京間について
紅から色の京格子、低い2階は土蔵造の虫籠窓、内部は間口のわりに奥行きが広く、俗にうなぎの寝床と呼ばれている細長い間取りです。
通りに面して格子戸があるのは、外から内が覗けないのに、内からは外がよく見える利点からです。
犬除けに塀や格子の裾に割竹をめぐらせた犬矢来も生活の知恵から生まれた町家の風景の一つです。
当時、空家に引っ越す際、空家には貼り札がついていて、「畳建具付き」「畳建具なし」と但し書きが書いてありました。
「畳建具なし」の場合、家の中は、畳も格子戸もないがらんどうでした。
住人になる人は、建具屋や畳屋へ行き、それぞれ揃えなければなりませんでした。
しかし、京間の寸法は統一されていたので、例えば、「一間半4枚の障子と一間2枚の襖」「6畳一間と4畳半二間」と注文すれば、中古・新品を問わず、すぐに運んできて建てあわせてくれました。
寸法は、鴨居の高さ、柱と柱の間隔なども共通で、「京間の約束事」が住宅建築の基本になっていたのです。
京間は、知恵と合理性が生み出した「統一規格(モジュール化)の元祖」と言えるでしょう。
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